【連載 世界の藍染め】藍染めの歴史


堀尾 藍( INDIGO MAGAZINE 編集長)

藍染めは日本の伝統工芸として知られ、藍色は”Japan Blue”とも称されている。2020年に開催予定の東京オリンピックでは、藍色の伝統模様が広報ポスターとして用いられている。

また、本電子マガジン「INDIGO MAGAZINE」は日本の「藍」を意味する。

 

日本の藍は蓼科が多いが(キツネノマゴ科の琉球藍もある)、世界にはウォード(アブラナ科)、タイセイ(アブラナ科)、ヤマアイ(トウダイグサ科)、インドアイ(マメ科コマツナギ属)等がある。中東文化で有名なヘナには、インドアイ(木藍)が混合されている。

紀元前3000年頃のインダス文明では、藍染めの染織槽が既に使われていたとされ、紀元前2500年~ 1200年頃のエジプトでも藍染めが生産されていたことがテーベ古墳から発掘された藍染めの布から判明した。

日本の藍染めは、正倉院が所蔵する「縹地大唐花紋錦(はなだじおおからはなもんにしき)が著名であるが、元々、日本の伝統的な藍染めは、醗酵立てのため、匂いはない。

19世紀末のヨーロッパは、ガス灯が普及しており、1880年、ガス灯の原料となる石炭ガスのコールタールの再利用から、ドイツ人のバイヤー(Von Bayer) が、石油から藍を合成する方法に成功した。その7年後の1897年にBASF(バディッシュシュアリニンソーダ工業会社)が合成藍を大量生産する。日本には明治時代にこの製造方法が導入されるようになり、藍染めの製造方法も大きく変化した。

1870年代にユダヤ系ドイツ人であるリーバイ・シュトラウス(Levi Strauss)が、フランスで製作したジーンズ製品(1973年に試作)をアメリカで商品化し、広めた。大量生産は資本主義の象徴である。

一方、日本は藍染めを伝統工芸として、職人が大切に製作する。日本の伝統文化が世界に誇れる一つとして、物作りの工程にも現れている。手作りならではの付加価値があり、商品を手にした消費者は思わず心がほっこりとする。

筆者は学部時代に徳島県の藍住町の工房にて藍染め体験をしたが、残念ながら、石油の匂いが強く、工房の中にも純粋な製法を守る工房、とそうでない工房がある、と知る。
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写真:Flickr

第二次世界大戦時は、藍の栽培が禁止されたが、徳島県の藍農家が苗を守り続け(徳島

県の藍住町は藍で有名)、現在も日本では藍が大切に育てられている。

 

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       藍より出でて藍より青し

 

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写真:Flickr

藍染めは、インドや中国、ヨーロッパのみではなく、アフリカ諸国(ナイジェリア等)

でも生産が顕著にみられる。

 

本連載では、筆者が国内外の藍染めを紹介し、日本の伝統文化の魅力を再確認し、あわせて世界との繫がりを考察していきたい。なぜなら、文化とは度重なる交易や人の移動によって様々な国から影響を受け、変化している。それゆえ、伝統文化の魅力が更に引き立つといっても過言ではない。

 

参考資料

■宮内庁HP

http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Treasure?id=0000020705

■Science Museum(London)

http://www.sciencemuseum.org.uk

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