寄稿 GNHの今日的意義-「奪い合う社会」から「分かち合う社会」へ


大木昌(明治学院大学国際学部教授)

By Dr.Akira Oki

International Studies professor at the Graduate School of Meiji-Gakuin University



1 「GNH」の衝撃―

 日本経済が戦後復興を成し遂げ、高度経済成長への道を上り詰めていた1972年、ヒマラヤ山中の小さな仏教王国ブータンで、当時16歳の王子が父を継いで王位に就く戴冠式がひっそりと行なわれた。新王ワンチュック(Jigme Sigye Wangchuck)はその席上、仏教精神に基づくブータンのユニークな文化に貢献するような経済建設を目指す、と抱負を語った。実は、この戴冠式の前年の1971年、先代の国王Jigme Dorij Wangchuck)は、国連開発計画(UNDP)の代表を迎えた際のスピーチで、開発の目的は「人びとの繁栄と幸福」である、と宣言した。これは、従来の開発が文化や環境の破壊をもたらしてきたことに対する反省から得られた哲学であった。上に述べた新王の発言は、仏教精神と先代の国王の理念を引き継いだものだった。この時点では、「GNH」という理念は、主として開発の哲学として語られていた。

国王に即位した4年後の1976年、第5回非同盟諸国会議のおり彼は、以前の理念よりさらに踏み込んだ発言をした。すなわち、政府の究極の目的は国民の幸福を増進することであり、「GNP」(Gross National Product=国民総生産)に集約される物質的・金銭的豊さより「GNH」(Gross National Happiness=「国民総幸福量」)という言葉で明確に表わされる国民の幸福の方が重要であると、と述べたのである。世界の多くの国が、とりわけブータンのように開発途上国が、GNP(物質的豊かさ)の増大を追及しているとき、突然、経済学的にはなじみのない「幸福」あるいはもっと日常的に言えば「幸せ」という言葉が国家の主要な目標として発せられたのである。

誤解を避けるために補足しておくと、GNHの理念を掲げたブータン政府も、この理念に共感した人々も、物質的豊かさを否定しているわけではないし、貧しさを推奨しているわけでもない。この理念は、物質的な豊かさは、長期的に見て人々の幸福につながらなければ意味がない、という考え方を示したものである。

いずれにしても、人々は虚を突かれた思いであったにちがいない。というのも、個人の主観的な感情の響きがする「幸福」の増加こそが国家の究極的目標であるという発想はこれまでなかったからである。しかし考えてみれば、豊かさは幸せになるひとつの手段にすぎず、人生の目標は豊かになることではなく、幸せになることである。この当然の真実に、世界の人々はブータンの若き国王の言葉によって今更ながら気づかされたのである。こうして、GNHという理念は次第に多くの人の共感を呼び、GNH研究所が各国にでき始めた。

ここで大切なことは、GNHが当初、ブータンにおける開発理念であったものが、開発とうい経済の領域を超えて、国家ないしは政府が目指すべき総合的かつ究極の目標に拡大されたことである。これは、2005年にカナダのハリファックスで行なわれた第二回GNH国際会議の席上、ブータンの国務・文化大臣の基調講演で明確にされた。「国王は以前から、究極の共通目標は幸福であり、その他全てのことはその手段にすぎない。しかし、皮肉なことに、我われは目的と手段とを混同しがちである」、と。しかし、私的な研究所は存在するが、現在までブータンの提起した理念を実際に政策理念として採用している国はない。

2 高度経済成長からバブル崩壊まで-日本人の幸福感はあった?

 1970年代の前半といえば、日本では1973の石油危機をきっかけとして戦後の高度経済成長期(1955年~73年)が終わりを告げたとはいえ、それも何とか克服し、まだまだ経済成長路線をまっしぐらに走っていた時代である。日本列島改造の余韻はまだ続き、日本国中でブルドーザが地響きをたてて開発にまい進していた。「モーレツ」と「大きいことはいいことだ」という言葉が、この時代をよく表わしている。当時、ヒマラヤの小国の若き国王が発した、物質的豊かさよりも人びとの幸福を、という理念は日本政府だけでなく大部分の日本人の心にまったく響かなかった。それどころか日本は「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」などとおだてられ、「日本的経営」の優秀さを自慢していた。つまり日本人は、日本の歴史始まって以来の経済的繁栄に酔っていたのである。その後、1990年代初頭に土地と株価の暴落に端を発したバブルの崩壊まで、日本は一貫して経済の拡大を追及し、そして謳歌してきた。あたかも、すぐ前方に滝があるのも知らずにゴムボートの上ではしゃぎながら川下りを楽しんでいたのである。

バブル崩壊以後、どん底に落ちた日本経済は、「失われた10年」とも表現されるように、這い上がるための長期間にわたる苦闘を続け、なんとか立ち直った。しかし、前回のバブルの経験はすっかり忘れ、小泉内閣が成立するや「改革」「規制緩和」の名の下に、日本はアメリカに追随して市場原理主義へと傾斜していった。郵政民営化に伴う郵便貯金の廃止によりゼロ金利政策が採られ、「貯蓄より投資へ」、という掛け声にしたがって、行き場のない金融資産は投資信託や証券市場へと流れた。

一方企業は「国際競争力を向上させる」という名目で正規雇用を減らし、日雇い派遣を含む派遣労働者を増やした。そして全般に賃金を抑えることに汲々としてきた。その結果が、ワーキング・プアの増加、格差拡大、地方の疲弊、農・林・水産業の一次産業の衰退であった。このような状況のもとで20089月の「リーマン・ショック」といわれるアメリカ発の金融パニックが起こり、日本でも個人、企業、地方自治体および国の金融資産は大幅にその価値を失ったのである。

現在政府は、景気浮揚政策と称して、税金のバラマキを行なおうとしている。しかし、エコノミストたちは、現在のような政策で景気が浮揚することなどありえないと考えており、とエコノミストはだけでなく一般庶民が肌で感じている。一方で、毎年2000億円も福祉予算を削ることを決定しておきながら、他方で2兆円もの定額給付金をばら撒き、さらに今後10年間で59兆円もの道路特定財源を確保している。このような現政権の方針を見ていると、日本はますますGNHを減らしてゆく方向に歩んでいるとしか思えない。

以上に素描したような戦後日本の実情のなかで、日本人の幸福感どのように変化したのだろうか?ある統計によれば、前後の1958年から1990年代初頭まで、つまりバブルの崩壊直前の、日本経済が繁栄を誇っていた時期に実質国民1人当たりGNPは6倍に増えたが、幸せ指数と考えられる生活満足度はほとんど変わっていない。これは、経済的な豊かさが幸福の増加につながらなかったことを如実に示している。

バブル崩壊以降は経済的な問題に加えて、心の中に不安と不満が鬱積してきている。たとえば、1998年に日本の自殺者が3万人を突破して以来、今日までずっと毎年3万人以上の自殺者を出している。そして、社会では親殺し、子殺し、無差別殺人など凄惨な事件が後を絶たない。これらの問題に関して筆者はすでに『関係性喪失の時代-壊れてゆく日本と世界』(勉誠出版社、2005年)においてくわしく論じているので参照されたい。それでは、私たち日本人が少しでも幸福を感じられるようにするためには、どんなことが考えられるだろうか。

3 「奪い合う」社会から「分かち合う」社会へ

上記の著作で筆者は、現代日本が抱える社会的病理の根源として、(1)関係性、(2)物語、そして(3)想像力・共感力、という三つの喪失を取り上げた。この中で、幸福と特に関係が深いのは関係性だろう。経済的に豊かでも人間関係が貧しいと私たちは孤独と不安にさいなまされる。逆に、豊かな人間関係があれば、経済的に多少貧しくても、かなりの程度耐えられるし、幸せを味わうことができる。この問題については「関係性喪失の時代-幸せの条件、不幸せの背景-」(辻信一編著『GNH-10人からの提言』(大月書店、2008年)でくわしく論じている。それでは、そもそもなぜ経済成長とともに関係性は壊れていったのだろうか。

戦後の日本人は一貫して、厳しい競争に勝ち抜くべく、人間関係を犠牲にしてまで「企業戦士」としてモーレツに働いてきた。しかし競争社会というのは、経済を活性化させると同時に、人間関係を分断する可能性を常に秘めている。というのも、日本は資本主義経済体制をとっており、それは競争原理に基づいている。競争原理とは結局「奪い合う」原理に他ならないからである。そして、「奪い合う」闘いで敗者となった者は過酷な運命を押し付けられる。それが時として爆発し、秋葉原での無差別殺傷事件や、ひき逃げ事件のように敗者となった人たちによる、「誰でもいいから殺したかった」という犯罪を呼んでいるのである。

戦後60年、日本の経済は確実に豊かになり、身の回りには物があふれ物質的には豊かになったかにみえるが、日本社会は全体として幸せになったとは思えない。それどころか、現在の日本社会を覆っているのは「うつ的」気分である。日本人は一貫して「奪い合う」生活を休むことなく続けてきたが、その過程で、かつての共同体的な「分かち合う」風潮をますます衰退させてきた。それは、企業戦士だけでなく家庭にも地域社会にも急速に失われつつある。もう一度、人間関係を取り戻し、「分かち合う」社会、住みやすい社会を築くためにはどんなことをすべきなのだろうか?これは必ずしも大げさな仕掛けが必要なわけではない。

まず何よりも重要な点は「何が大切なことなのか」、に関する価値観を転換することである。すなわち、常に、人と人とのつながりを大切にし、「分かち合う」ことを心がけることしかない。これによって、自分および自分の周辺の人々との間に新たな関係性と「分かち合う」雰囲気を作り上げることができる。これは、とても小さなことで、社会を変えることなんてできないように見えるかもしれない。しかし、こうした小さなことから始めないと大きな変化を起こすことはできないのではないだろうか。   

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